希望を捨てる勇気なんてトンデモナイ!

今こそ希望をもって生きることができる時代になったのだ

 経済評論家でブロガーの池田信夫さんが「希望を捨てる勇気」というもっともらしいようで、実は完全に間違った見解をブログに掲載しておられた。それについていろいろな意見が出ているので、彼の考えが間違っていることを明らかにしておく必要があるようだ。
 それは、ひとことでいうと、今こそ希望をもって生きることができる時代であるということだ。

「日本は現在の欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟したのだ。「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。」
 これが池田さんの結論。人類の文明が成熟して今の厳しい経済状況がこれからもゆったりと続くという前提にたっておられる。この現状認識は、甘い。
 トンデモナイ。少し早く生まれたからリッチな生活を堪能しておられるオジ様の思い通りに世界は「成熟」しない。人類の文明はもうすでに終焉しているのである。オジ様も若者の同じ苦しみを味わう時代がすぐにくるのだ。みんなまだそれに気づいていないだけ。

 競馬は、先頭の馬の鼻先がゴールを通過するときに勝負が決まる。水泳でも陸上競技でも、選手の体の一部でもゴールに到達したら、残りの部分がゴールに到達していなくても、試合の決着はつく。
 人類の文明は、もうとっくに終わっている。おそらく鼻先がゴールを超えたのは1986年1月のスペースシャトル、チャレンジャー号の爆発と、同年4月のソ連チェルノブイリ原子力発電所の爆発の時であった。この年、世界人口は50億人を越えた。株の大暴落であるブラックマンデーもこのころ起きた。
この後に起きていることは、残りの体の部分がすこしずつゴールラインを超えているだけである。馬のお尻や尻尾にしがみついている蚤たちには、ゴールがまだ見えていないから、ノホホンと生きているだけなのだ。

 これからしばらくして、馬の体が全部ゴールを超えたときには、もっとすごいカタストロフが起きるだろう。人類文明は勢いをつけて崩れ落ちるに違いない。食糧危機、環境危機、失業、なんでもありだ。赤木智弘さんのように戦争を願望する必要はない。日々の暮らしが戦地のように厳しくなるのだから。
今は、大絶叫マシンのジェットコースターが、最高点に到達してしばし水平に移動している時間なのである。これから、想像もしなかった波乱万丈、阿鼻叫喚、なんでもありの恐怖の時代がやってくる。

 だけど、希望はそこにある。
 ハチャメチャな悲劇の時代にあっても、人は美しく生きることはできる。どんなに厳しい時代でも、希望を失わないで、前向きに生きていくことはできる。これが希望である。
 これからやってくる人類文明の破局は、人類が自分で引き起こしたものだ。だから人類である以上、この破局に責任がある。だが、これは原罪であるのだから、あなた自身には責任はない。あなたは悲劇の時代にあっても、人間の尊厳を保ち続けて、美しく、輝いて、生きることができるのだ。
そのような生き方を実践できたときに、あなたの魂は、おそらく高度経済成長やバブルの時代を生きた人々よりも、より深くて大きな喜びで満たされ、キラキラと輝くことであろう。

 人類文明7万年の歴史の結末としておきた文明の破局を心静かに見据える時代、物質的・表面的な豊かさにとらわれないで生きていける時代、人類の本当のすばらしさを確かめることができる時代、人類の本源的希望を胸に生きていける時代になったのである。
 これは大いに喜ぶべきことである。