幸いにして之を得れば坐して以て旦を待つ
金曜日夕方から、土曜日午前、土曜日夕方、日曜日午前と、合気道三昧の週末だった。
土曜日の夜の稽古は、月窓寺で、多田師範がイタリアから帰国されて初めての指導だったこともあり、非常に緊張感も充実感もある稽古だった。
合半身の片手取りで、入り身投げ、四方投げ、小手返し、二教とみっちりとした係り稽古が続いたのだが、私は、小手返しのときに、「肩に力が入っている。手が縮こまっている。もっとのびのびと、力を抜いて、ほら肩が上がっているじゃないか。」と、師範にご指導をいただいた。なかなかうまくいかず、何本か余分に取らせていただいたのだが、満足のいく技とならなかった。
帰りの電車の中でも、どうしたらいいのだろう、力を抜いて、肩が上がらず、のびのび技をかけるというのはどういうことだろうと考えていた。
両手をあれこれと動かしてみて、こうかなあ、ああかなあ、こういう動きならできるが、それで技になるかなあ。それは小手返しというよりは、両手取り呼吸投げのような、水平方向の動きだった。
自宅に帰り、風呂に入っても、この動きでどうだろう、と考えていた。
朝、少年部の始まる前に、一人で足と手を動かしながら、これでどうだろう、と何度も何度も稽古をしてみた。下に落とすのではなく、真横に投げる感じの小手返し。これでどうだろう。
今朝の自由が丘の稽古では、正面打ち小手返しがあったので、そこで実際に試してみた。まずまずかなぁ。力は抜けて、でも威力ある技になっているだろうか。
この気分、孟子にたしかあったと思って探してみたら、「離婁・下21(岩波文庫版)」に見つかった。
その合わざる者あれば、仰ぎて之を思い、夜以て日に継ぎ、幸いにして之を得れば、坐して以て旦(あした)を待つ。 (其有不合者 仰而思之 夜以継日 幸而得之 坐以待旦)
(現代語訳: もし、それが今日の実情に合わない点があると、天を仰いでは思案をこらし、夜を昼についで考えつづけ、幸いに妙案がうかぶとすぐにも実行したくて、そのまま寝もせず、夜が明けるのを待ちこがれた程であった)
秋空に胴着干したり蝉時雨