ギリシャ悲劇は観る者を運命共同体に引き込む
観るスポーツは嫌い、ボケっと観て何になるんだ
なんてことを時々言っているから、
オリンピック観戦していると息子たちや妻が
「あら、観るスポーツは時間の無駄じゃないの?」
と嫌味を言ったりする
ま、観たいときは観ている。
柔道よりレスリングのほうがおもしろい、なんていいながら。
そもそもJUDOになって、道着の色も気に食わないし、
帯がほどけるように結ぶこと自体信じられない
それに比べるとレスリングのほうがルールも着物も
はっきりしていていいい
ロンドンに住んでいたのは1993年秋から1997年末まで。
4年間、いろいろな経験をした
僕の場合は一番のめりこんだのは観劇
1994年にはエジンバラ演劇祭にも行きました。
レベル高いから、堪能しました。
一番よかったのは、アイスキュロスの「オレステイア」
つまりギリシャ悲劇だった。
それも、ロシア人の俳優が、ロシア語で、英語はテロップで、
アイススケート場を使って6時間以上かけて上演していた。
これには恐れ入った
ギリシャ悲劇には、観る者を運命的共同体に引き込む力がある
ということを感じました
ギリシャ悲劇を6時間、一気に上演する演出や俳優もすごいが、
それについてくる客も客。
あれだけのパワーと気品とカタルシスをもった芝居には
出会ったことがない。
学生時代にみた68/71黒テントの「ブランキ殺し 上海の春」
を、もっとダイナミックにした感じといってもわかってもらいようがないが
しかし、今、誰がギリシャ悲劇を観て、カタルシスを語っているだろう
世界の現実が終末的になっているから、
そんじょそこらの悲劇だと、現実に負けてしまって、
「それが悲劇なの?」と言われてしまうかも
悲劇が受け入れられる時代のほうが幸福度は高い
喜劇や軽佻浮薄なコントばかりの社会は、実は不幸かもしれない