年越し派遣村のもつ意味について
実行委員たちは、国の政策が誤ったために、派遣労働者が路頭に迷ったから、住むところと食べるところを、国が負担せよといっているようです。
でも、それをいうなら、もっともっとたくさんの人たちを救わなくちゃいけないんじゃないかな。
年越し派遣村を、国の誤った政策の犠牲者とするのは、間違っているとおもいます。
僕は、これは、人類文明の終わりの時代に、最初に路頭に迷った人々だと受け止めたい。
つまり、派遣だろうが、正社員だろうが、これからどんどん失業者やホームレスになって、路上にあふれ出てくるだろうとおもうのです。
サブプライムローン問題と自動車産業とは、20世紀資本主義において、労働者がマイホームとマイカーの夢を与えられて、莫大な借金をして家と車を買ったことによって成長した産業でした。
この2つの産業が行き詰ったのは、20世紀型資本主義が、行き詰ったということでしょう。生産力が過剰になった資本主義が、内部崩壊をはじめたのです。
ほかの業界にも及ぶでしょう。たくさんの人が失業するでしょう。
日比谷公園の年越し派遣村は、そのような時代が来ることを予感するためであり、そのような時代に私たちはどうすればよいかを考えるための思考実験だったのだとおもいます。
これから、世界は大絶叫マシンのように、奈落の底に落ちていくでしょう。
登山でも、のぼりよりくだりが難しいように、文明が落ちていくときに、どう振舞うのか、何を大事にして生きていくのか、そういったことを考えなければならない時を迎えたということだとおもいます。