防衛庁の衛星利用

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050313k0000m010124000c.html

今朝の毎日新聞にめずらしく防衛庁の衛星利用に関する記事が出ていた。新聞休刊日の前日の朝刊紙面を見越しての、毎日得意のスクープ記事なのだろう。

防衛庁
衛星で不安定の弧カバー 情報戦略計画全容判明
 国際平和協力活動を自衛隊の活動の柱とした防衛大綱を受け防衛庁が策定した情報戦略計画の全容が12日、明らかになった。中東から東アジアにかけた「不安定の弧」の全域をカバーする映像通信システムを構築するとともに、自衛隊と米軍の情報の共有化推進が狙いだ。司令部レベルでもデータ共有化がいっそう進む可能性があり、米軍との武力行使の一体化の恐れが増すことから論議を呼びそうだ。



記事をぱっと見ると、防衛庁が不安定の弧をまもるために米軍と共同で衛星を利用するようにみえる。
もしかすると、明日の朝刊批評番組でそれなりに取り上げられるかもしれないが、この記事をきちんと評価するのは、むずかしいだろう。

この記事をめぐっては、いくつか論点があるが、一番一般的な問題は「宇宙平和利用原則」との関連ではなかろうか。

防衛庁自衛隊が宇宙技術を利用することは、1969年の宇宙平和利用国会決議に反するのではないか。
一方で、宇宙平和利用国会決議は時代錯誤であり、早々に撤回するか無効決議をあげるべきだという議論もわくだろう。

そもそも1969年の宇宙平和利用国会決議は、宇宙開発事業団(当時)が設立されるにあたって、日本は宇宙を平和目的でしか利用しないことを決議したものだ。
憲法第9条をもつ国ならではの決議だが、そのために、離島の自衛隊が公共衛星電話を利用することがよいか悪いかを国会で議論したこともあるほどだ。そのときは、民間も遣う一般サービスだから構わないという結論になったのだが、実にナンセンスな話だ。

というのは、宇宙技術を利用する必要性があるのは、軍くらいだからだ。我々は普通に携帯電話で用が足せるが、自衛隊サマワと交信するためには、衛星しかないのだから。
自衛隊が日本を1歩も出なかった時代は、宇宙平和利用などというトンチンカンな決議が存在していたとしてもよかったかもしれないが、今がそんな時代ではないことは明らかだ。

この記事がそういった議論を引き起こすためになればいいなと思う。

22:30
さっき大阪から帰ってきた

十三で立飲みをはしごしてきた。
いいなあ、安くて、心が癒されて。
大阪のほうが、人間的に生きていける

飛行機に乗るとき、「この飛行機は沖縄とかバリに行くのではないですか」と希望的な妄想を口にしたのだけど、誰も本気にしてくれなかったなあ

羽田ですか、僕はデンパサールだと思っていたのに、、、と何回となくスッチーにからんだのだけど、相手にしてくれなかった
羽田より、デンパサールのほうが、楽しいにきまっている

ところで、このダイアリーは、一日に一回しか書き込めないの?????
二回目の書き込みをするには、追記するしかないの?????

昼間の続き:


宇宙平和利用原則というのは、ロールシャッハテストというか、隠し絵みたいなものだったんだと思う。
宇宙開発がなぜ行われたかを知らない人は、宇宙は平和的に開発されるべきだと思うかもしれない。陽のあたる部分しか見えないのだ。
しかし、本当に宇宙開発に関わった人たちには、闇の部分が見える。宇宙開発が大陸間弾道弾を敵国に打ち込むための技術であったこと、敵国の偵察や着弾確認のための地球観測技術であったことを知っているから、平和利用と聞いても、「ふむふむ、平和利用というどうでもいい利用法はどうぞご自由に国際会議や国連で議論してください。軍事利用は自分で考えて独自に進めますよ」という意味であったことが理解できる。
このあたりの感覚は戦後の日本人には理解できないだろうなあ。

日本は、第二次世界大戦が終わることは、世界でもドイツに次いで二番目にロケット技術が進んだ国だった。
桜花という固体ロケットを積んだ航空機は、爆弾とともに敵の軍艦に突入して多大な損害をもたらしたから、アメリカが最も恐れていたものだった。
だからこそ、アメリカは、日本の占領政策で、① 航空宇宙産業を禁止し、② 平和憲法を押し付け、③ 政教分離原則を憲法に盛り込んで日本人から宗教心を奪い去ったのだった。